サロン・ド 9条
22日、北神戸9条の会主催で、憲法・平和について自由に語るサロンを開き、22名が参加した。最初、9条の会の映画を鑑賞し、その後お茶を飲みながら自由に冷静にかつ熱くそれぞれの思いを語った。
戦争を体験された方からの「戦争に得る物は無い。悲惨な戦争は二度と起こしてはならない」という思いも多く語られた。
その中に、優しい目の奥に力強さを感じる女性がいた。まず82歳と聞いて驚いた。60代としか思えないほど姿勢がしゃんとしていたし、まなざしに強さがあったからだ。そして、優しい口調で語られた体験談にはさらに驚いた。なんと従軍看護婦として中国の戦地に派遣されていたのだ。戦後も兵士と一緒に戦地を巡り、帰ってこれたのは確か昭和32年とおっしゃってたと思う。
恥ずかしながら、私は従軍看護婦という言葉は聞いたことがあったが、よく知らなかった。そこで、少し調べてみた。
なんと、家庭の状況なんか関係なく、兵士同様に赤紙一枚で招集され戦地に派遣されたようだ。日赤で2万4724人が召集され、戦地で死亡された方は1201人。しかも軍人同様に戦地に行かされたのに、恩給などではひどく差別されているようだ。
この方のお話を詳しく伺ってみたいと強く思った。そういう機会を是非作っていきたいと思う。
全員で議論するには人数が多かったのと、時間が足りなかったため十分に語りつくせなかった方が多かったと思う。次回はもう少し時間を取って、少人数にグループ分けするなどの工夫をしたいと思う。

戦争を体験された方からの「戦争に得る物は無い。悲惨な戦争は二度と起こしてはならない」という思いも多く語られた。
その中に、優しい目の奥に力強さを感じる女性がいた。まず82歳と聞いて驚いた。60代としか思えないほど姿勢がしゃんとしていたし、まなざしに強さがあったからだ。そして、優しい口調で語られた体験談にはさらに驚いた。なんと従軍看護婦として中国の戦地に派遣されていたのだ。戦後も兵士と一緒に戦地を巡り、帰ってこれたのは確か昭和32年とおっしゃってたと思う。
恥ずかしながら、私は従軍看護婦という言葉は聞いたことがあったが、よく知らなかった。そこで、少し調べてみた。
なんと、家庭の状況なんか関係なく、兵士同様に赤紙一枚で招集され戦地に派遣されたようだ。日赤で2万4724人が召集され、戦地で死亡された方は1201人。しかも軍人同様に戦地に行かされたのに、恩給などではひどく差別されているようだ。
この方のお話を詳しく伺ってみたいと強く思った。そういう機会を是非作っていきたいと思う。
全員で議論するには人数が多かったのと、時間が足りなかったため十分に語りつくせなかった方が多かったと思う。次回はもう少し時間を取って、少人数にグループ分けするなどの工夫をしたいと思う。

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