会のニュースに掲載した、会の賛同者からの投稿記事を紹介します。
61年前、はじめて新憲法に触れた時の事の回想されています。
はじめて「新憲法」に触れる
〜六十一年前の想い出〜 1945年(昭20)、ソ連とアメリカは北気三八度線を以て朝鮮半島を真横に切ってしまい、南北に分離した。北はソ連、南はアメリカが占領。敗戦の大混乱の中、北朝鮮にいたボク達は故国へ帰る路を閉ざされ、一年有余の難民生活の末、恐怖と困難とを乗り越え38度線を突破。引き揚げ船の待つ仁川(インチョン)港へ着いたのは、1946年の秋、10月。箱のような形をした戦標船の蚕棚のように仕切った船倉にほうり込まれ、それでも故国に向かう嬉しさいっぱいの人々を乗せて、船は韓国の西海岸をのろのろと南下していった。
乗船2日目の夜だったか、「新憲法の話があるから集りなさい」という呼び出しが各船倉にあり、多くの人が船倉の一部を広くしたスペースに集まった。
「新憲法?なんだろう」僕の頭の中には、徹底してたたき込まれた軍国主義教育のお陰で、あれほど惨めな思いをさせられた敗戦が身にしみていながら、まだ「憲法下、万世一系の天皇がこれを統治する。天皇は神聖にして侵してはならない」などがすぐに思い出され、どうもイメージが湧かない。とにかく聞いてみよう。
話をした人は、旧満州のどこかの高等専門学校の校長とかいう人で温厚そうな紳士だった。おそらく乗船後、急ごしらえで集めた情報での話しだったのだろう、全く印象が薄いのだが、今でも二つだけはっきりと思い出す事がある。その一つ「男女同権」。はは〜これで、おふくろはおやじにぶん殴られなくなるな、いや〜実際僕の幼い頃は、母親はいつもおやじに怒鳴られっぱなし、そろばんで頭を殴られて血を出していた事を想い出す。その父親は、1942年(昭和17)、船長をしていた小さな貨物船と、一緒に徴用され、たった60トンそこそこの船で赤道を越えてソロモン諸島のラバウルまで行ったきり。死んだのか生きているのか何も分からない。もう一つは、おもしろい話。彼が若い頃留学中スウェーデンの学校で見た話だ。生徒はみんな机の上に恋人たちの写真を飾っているという。当時の学校はすべて男女別で、女子などが運動場に出た時に遙か遠望するくらいだったなあ、ボク達は。
「新憲法」の一番大切な部分は何も分からないままのその晩だったか、これがボクが「新憲法」を知ったのではない、ちょっと触れたという話。本当に「新憲法」が見えてきたのは、ずっとずっと後、今でも本当に、解った!!とは言えないかも知れない。
(AF 07年5月21日)